愛犬を叱るとき、そこに愛はあるのか?


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愛犬を叱るとき、そこに愛はあるのか?

叱られて理解することは「叱られた」こと

あれ?
叱られたことが理解できているならOKでは?
と、思いたいですよね。

大概の場合、「叱られたこと」しか理解できないのです。

つまり、「何について」叱られたのか?が理解できていないケースが多いんです。

理解できていれば、何度も同じことを叱る必要はありません。
また、不安や恐怖反応を罰するのは、良い方法ではありません。

大概、愛犬家の「叱る」は説教になっています。
犬は文章読解する能力はありません。
「何のことやら…」で、叱られていることを受け入れているのです。

この説明をすると、「叱られていることは理解できているんだけどなぁ」と言われる方がいます。
正にその通り、叱られたことだけは理解できています。
詳細がわからないだけ。(笑)
 

大概、愛犬が家族に叱られるケース

 ・暴れる時
 ・吠える(うなる)時
 ・逃げる      など
愛犬が”イケナイ”ことをした。
その”イケナイ”ことをすると、誰が困るのでしょう?

全てとは限りませんが、叱るが「体裁を取り繕うため」ではないか?
自問自答が必要です。

例えば、獣医さんで暴れたから叱る。
何で暴れたのか → 抑えられたことによる、不安や恐怖からではありませんか?

この時に叱るはNG(次も暴れる)ですし、
愛犬が困っているのに、家族までが突き放すような態度(=叱る)では…。
世間一般の対応が常識とは限らないのです。
 

愛があるなら真剣に!

叱るという対応が正しいかどうかはさておき、真剣に対応すべきです。
叱った後に脱力感を感じるほど必死ですか?
親として、家族を叱るなら、それ覚悟のエネルギーが必要ではありませんか?

そもそも、その行動を叱るべきか?
サポート(介助)すべきか?

本当に愛犬を叱る必要があるなら…

愛犬に理解できる方法を習得するべきです。

親と子は共に成長するのですから…

叱るという行為ですが、賛成派と反対派がいます。
細かな説明は割愛しますが、一般の愛犬家が「愛犬にわかりやすいタイミングで適材な罰(嫌悪刺激)を提示する」ことは皆無に等しいです。
多分、プロ10年という方でも「罰(嫌悪刺激)は難しい」と思う方が多いはず。
そのくらい、罰は「取扱注意!」なんです。

近年では、家族の一員として愛犬を迎い入れる方がほとんどなはず。
家族としての「愛」もが、擬人化した愛ではサビシイです。
 
愛犬が「サポートして欲しい」というメッセージを発しているのに叱ってませんか?
そこに、愛はありません。

叱り方より、察し方を!
本当に愛犬を愛しているなら…。